トイレとダイバーシティ

 

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私はおなかが弱い。少しでも緊張やストレスを感じてしまうとそれはすぐさま腹痛という形をもって現れる。目は口ほどにものを言うというが私の場合には困ったことに尻に意思表示機能がついてしまったようだ。まったくもってその空気の読めなさには難儀している。中高時代が特にひどく、通学時に電車に乗っていると必ずと言っていいほどおなかが痛くなったので学校までの通過する大体の駅のトイレの位置と混雑具合を把握していた。今はそれほど苦しむこともないが当時のことを思い出すと我ながら中学高校と6年間よくも社会的に死ぬことなく毎日毎日電車に乗って頑張ったと思う。括約筋と己の精神力をほめてやりたい。


そのような事情もあって人よりも多くの時間を個室と便器と戯れることに使ってきた。そうすると世の中のトイレは大体4種類に大別できるらしいということが分かってきた。きれいなトイレときたないトイレ、洋式のトイレと和式のトイレの組み合わせで大抵は説明がつく。一般的に偏差値が高いトイレはきれいな洋式で統一されたものだ。うちの大学では洋式と和式のハイブリッド方式がとられており、まあまあきれいなのでトイレ愛好家の間でも評価は低くない。最近トイレットペーパーの種類が変わり、以前より少し厚手でエンボス加工がされた物になったように思う。よりお尻にやさしくなり私の好感度は急上昇した。

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エンボス加工がされたもの、クッション性と表面積が増えるすごいやつ

 

そのように分類をしていくと洋式トイレの方に人気が集まっていくのは自然な事のように思う。事実、自分自身も洋式トイレに心酔していた時期があった。だって、座っていても疲れないのでいつまでだってこもれるような感覚がするのだから仕方がない。居心地の良さが洋式の最大の魅力だろう。一方で和式便所は嫌悪に近い感情を覚えていた。和式便所には構造的欠陥が多い。数々の和式を巡ったが照準を違えて的を盛大に外しているのを幾度も目にしたし、そもそも正面についている水洗レバーを足で踏むべきなのか手で押すべきなのか判然としない。衛生的にダメダメのダメ。特筆すべきはあのしゃがみ込む姿勢。間抜けなことこの上ないし長く続けていくと足がしびれてくる。それに前から額をチョンとでも押されればすぐにでも後ろにひっくり返ってしまうだろう。弱肉強食の現代を生き抜くうえでもあのような無防備な姿をさらしてはならない。和式を洋式に交換しないのは管理者側の怠慢だと思っていたし、早く淘汰されるよう願っていた。

 

ある日、いつものように電車に乗り、いつものようにおなかが痛くなり駅のトイレに駆け込んだ。その日は運悪く和式しか空いておらず舌打ちをしながらしょうがなく個室へ飛び込んだ。背に腹は代えられないのだ。大衆の前で粗相など、こちらにも社会的責任がある。無事ズボンを下ろし、ホッとしているとあることに気が付いた。今まで絶望的にお腹が痛くなったときに私に寄り添っていてくれたのはいったい誰なのか。それはきれいとは言い難い和式便所ではなかったか。これは盲点だったのだが和式はそのきたなさと居心地の悪さからすこぶる回転率が良い。それゆえ空いている時間が多く、先客がいてもすぐに出てくれるのだ。窮地を救ってくれていたのは和式だった。私はトイレでうんこ座りをしながら己を恥じた。トイレの一側面でしか物を考えていなかったのだ。外面ばかり気にして中身を考えようとしなかった。本当に大切なものはすぐそばにあったのに。

それ以来和式を迫害するのはやめた。世の中に存在するものには意味があるのだ。どんなものにも長所と短所があり、和式と洋式どちらも受け入れることが多様性、しいては豊かなトイレライフを送るうえで大切なのではないだろうか。

 

一番重要であるのは用を足すことであるのだから。

 

 

 

小便器はあの山奥とかにある壁に向かってするやつが合理的で完成されてると思うわ。