31歳という幻想

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私の所属しているゼミでは31歳が絶大な人気と支持を得ている。それは主に女性陣の間で強くプッシュされており、彼女ら曰く「31歳こそが至高の年齢であり、それ以前は青二才、それ以降は下り坂である。」というのだ。一神教だ。

 

私も最初のうちは何をそんなバカげたことを、31歳以上でも素敵な方は居るし何なら35くらいまではストライクに入るぞなどと反論をしていたが、その特定の年齢の若々しさと成熟さを兼ね備えた絶妙なバランスの素晴らしさについて彼女らの熱弁を聞いているうちに「なるほど、そうなのかもしれない」と思うようになってしまった。

 

ちなみに31歳には比嘉愛未さん、北川景子さん、木村沙織さんなどそうそうたるメンツが並んでおり、ああなんと甘美な響きであろうか31歳。

 

そのような背景があり、私もしばらくはサーティワンとキャッキャと戯れ豊かな31ライフを送ることができた。31に憧れ、31を求めアイス屋にも行ったし、31日まである月をすべて調べ上げ、寝る前に布団の中で思いをはせた。しかし、いつものようにじゃれ合っているときにふと疑問を抱いてしまった。果たして本当に31歳が最高なのだろうか、それは我々が抱いている幻想に過ぎないのではなかろうか。

 

おそらく31歳に対してかなり濃い色眼鏡をかけて見てしまっている。そしてそれは私たちがそれよりも年下であることに起因する。

 

思い起こせば私も22歳になってしまったが、22歳といえばいい大人である。私の幼少時代、まだほんの米粒程度であったころでは22歳の方といえば大変な大人であり、22歳というそれだけでさぞかし立派に見えたものだ。私も幼いながら遠い未来その年齢になれば輝かしく立派になれる物であると考えていた。しかし22歳の私の実態としては、就職は決まったものの残されたモラトリアムを余さず使い切ってやろうという腐りきった決心から家でダラダラと卒論も書かずにNETFLIXにかまけているただのクソ大学生である。

 

それと同じことが今の我々の身に再び起こっている。9~10年後という近くも遠くもある絶妙な未来の話。31にもなればさぞかし立派で大人的なふるまいや雰囲気があるに違いないという思い込みがその想いを加速させ無条件で素晴らしいものだと思わせている。

私も31になればあるいはという儚い希望を抱いていたが、おそらくその年齢になっても今と変わらないうんこがそこにいるだろうということに気づいてしまった。絶望しかない。

 

そのような予測を立ててもなお、今はまだ31と戯れることができる。それほどに31とは蠱惑的で強力なのだ。しかし、実際に自分が31になってしまい現実を知りユートピアを失ってしまった後、我々は新天地を求め新たなる幻想郷を見つけなければならないだろう。果たして安住の地は見つかるのだろうか。

 

コードブルー面白かったですね。

 

終わり