わたしがお風呂がきらいなたった3つの理由

f:id:aaaaaaaauto:20170530230434j:plain

 

久しぶりに熱を出してしまった。そのおかげで丹念に準備していた試験を一つ棒に振ってしまったし、たちが悪いことになかなか微熱が収まらないので難儀している。今年は年の初めからインフルエンザにかかり二度も盲腸をやらかしているので相当に自分の身体からも愛想をつかされている。天寿を全うする日も近いに違いない。

 

一般的に熱を出している間はお風呂に入るのはよくないとされている。おそらく、体力を消耗してしまうとか何とかいう理由からだと思うが、お風呂が嫌いな私からしてみたらお風呂をサボる絶好の口実なのでここぞとばかりに活用している。

 

誤解をしてほしくはないのだが、私はきれい好きだ。高校の時のロッカーはピシッと整理されていたし、自室の整理だって欠かさない。当然自分の身体だって清潔に保ちたいと思っている。ここでいうお風呂が嫌いということは湯船に入ることが嫌いということである。ちゃんと体は毎日洗っている。以下3点お風呂がきらいな理由を挙げていく。

 

1.お風呂に入っている間何をすればいいかわからない

これは本当にわからない。まだ洗っているときにはタオルでこするとか頭をワシャワシャするなどやることがあるが湯船につかった瞬間何もすることがなくなる。無の中に全裸で放り出されるのだ。あの空間の中にはすっぽんぽんの阿呆と暖かい水しか存在しない。手持無沙汰もいいところである。

 

2.湯船で考えることもない

よく「お風呂は心の洗濯」というが、私のように家でぐうたらばかりして日々を過ごしている者に洗濯をするほど心に汚れはたまらない。日々の心配事といえば私にいつまでも恋人ができないことで両親にいつホモ疑惑をかけられてもおかしくないことぐらいだ。そもそも入浴は「みそぎ」に起源をもっており神の前に立つ前に心身を清める役割がある。したがって清廉潔白な心をもつ私にとってボディソープで体を清めた後には入浴は必要のない行為なのである。シャッと体を洗って即神様にお願いごとをすることができる。無駄がない。非常に合理的だ。

 

3.疲れとは

お風呂には疲れをとる効果があると言われるが、家でちんたら過ごしている私に疲れは溜まらない。

 

 結論

以上からお風呂に入る事は非常にめんどくさいと考えている。

しかし、同時にお風呂はよいコミュニケーションの場であることも理解している。サークルで山に登っていた時は下山後に仲間とよく温泉に入っていた。お互い全裸で防御する手段など何もないので多少は開放的な気分になりあんな話やこんな話をしたのを覚えている。

社会に出た際にも上司と飲みニケーションをするのはごめんであるが、仕事上がりに銭湯に行くのはありかもしれない。湯船の中でなら腹を割って話すことも可能になるだろう。

そうとなれば就職先に美人女上司がいることを切に願っている。さすればホモ疑惑もきれいさっぱり晴れることだろう。